貴女が花なら

「こーゆーのって貰って嬉しいと思う?」


自室で勉強していた方が捗るだろうに、彼女は時々わざわざ階下のSTARRYに足を運んで勉強する事がある。そんな合間のある日の事だ。


「こーゆーの? ですか?」

「そうそう、そこに飾ってある奴」


伊地知先輩は参考書から視線を外し、シャーペンを指示棒代わりにした。言わんとしているのはまぁ分かる。開店祝いに胡蝶蘭が飾られているのは、いたってよく見かける光景だろう。しかし、鎮座ましましているのは別の植物。同じイメージで花瓶から顔を出しているのは全く似ても似つかない。


学名:リコリス・ラジアータ。日本でよく聞く呼び名はヒガンバナである。


「ぼっちちゃんが近所のおばあちゃんを助けたら、お庭の好きな花を持ってって良いってご厚意で貰ったんだって」


丁度9月の半ばはリョウの誕生日だった。選ぼうにはよりどりみどりだったらしいけれど、遠慮したのか何故か惹かれたのか。実際に持ってきたのはどこぞの畦道で見かけるような変わり種だったらしい。


「リョウ先輩が金欠なのは知ってますけど、流石にこれは……」

「全力で止めたよ、全力で」


先輩の圧が強い。いくら普段野草を食べているからと言ってこればっかりは死に至る。涎を垂らしかねない状況で慌てて店長さんが止めに入ってSTARRYの備品扱いで収まったのはつい先日だ。


「店長さんはひとりちゃんのプレゼントなら喜んで譲り受けるって、リョウ先輩に現金渡してましたけど……」

「……まぁ、思惑はさておき命拾いしたよね」


手で触れるだけならまだしも、茎から根に至るまで全草が毒物である。姉の所業は他人への餞別を簒奪したようにも見受けられるが、妹としては友人が(生きているという意味では)助かったものだから内心複雑なようである。


「確か……なんて言うんだっけ?」


0の状態から他人への厚意で1を手に入れる。それを繰り返して2.4.8と手持ちを増やしていくのは……。


「……倍々ゲームの穴?」

「○クミン2のサブゲームですか。0にいくつ掛けても0ですよ、伊地知先輩」


普通わらしべ長者って言いませんか? そう首を傾げれば、先輩は苦虫を噛み潰した顔をする。


「喜多ちゃん」

「はい、なんですか?」

「ここに参考書があります」


半分勉強部屋と貸している開店前のSTARRY。時間が経てば雑誌棚に仕舞われるいくつかを先輩が手に取った。


「1冊1000円とか2000円でしょ? ここに書かれた知識が文字通りに価値を発揮するのはいつになる事でしょーか」


書かれているのは記録。頭に入れるのは記憶。身につくのは知識となる。外部からものを吸収するのは、食事なり学力も一緒。自分で振るえるようにならなければ意味がない。


「学力に価値を見出すのって、正直研究者の方や院生しか関係ないと思いますけど」

「喜多博士にそれを言われちゃ終わりなんだけど……」

「でも良い会社に入って、それなりのお給料を貰うのは大学の箔って必要ですかね」


学業の成果は殆ど可視化されない。強いて言えばどれだけの一般常識を持ち合わせ、集団生活に耐えうるマトモな神経を持ち合わせているかを図る尺に過ぎない。


果たして読み込んだ資料分の価格に見合う私に成れただろうか。どうやらそう言いたいらしい。


「私って何を持ってるんだろうなぁ」


次には自嘲気味に口角が動いた。珍しく受験勉強でアンニュイになっているのだろうか。反応に困る私をさておいて、伊地知先輩は嗤う。


「誰かから与えて貰うっていうのは慣れてるんだけどね」


母からは愛情。姉からは音楽。リョウ先輩からは旋律。ひとりちゃんからは勇気。そしてと付け加える。


「喜多ちゃんからは……元気かな」


そんな疲れ果てた顔で言わないで下さい。本人を目の前にしていると力不足って言われているような気しかしません。


「私こそ……伊地知先輩からたくさんのものを貰いました」


店長さんがSTARRYを創し、私が先輩たちから逃げ。ひとりちゃんがまるで救世主になり、結束バンドが生まれた事で喜多郁代の居場所が担保された。


何事にも分け隔てなく広く浅くで通してきた自分の人生が、少しのきっかけでギターボーカルを努めてここまでのめり込むなんて。高校入学までは考えもつかなかった。


その中心にいたのは伊地知先輩。貴女がいなかったらきっと今の自分はなかった気がするのだ。


「私は……伊地知先輩のお陰で今の生活が楽しいですよ」

「でもさぁ。喜多ちゃんみたいな女の子なら、男子と彼氏彼女になるような人生送っててもよくない? ぼっちちゃん曰く、陰キャならロックをやれだって」


私の性格が災いしてか、男の人から言い寄られる事は多い。それでも学校ではひとりちゃんがレッサーパンダ並みの威嚇をして追い払ってくれるし、何より私だって意中の相手を会話を優先したい。


「私は…………先輩と喋ってる方が青春してると思ってます」


随分と奥手だが、私の器量ではこれが精一杯だ。それを汲み取ったのか分からないが、伊地知先輩の表情が細目で三日月形に口が開く。入り口につかつかと歩み寄り、瓶壺に活けられた花々に手が添えられる。


「ねぇ知ってる? 生物の先生が言ってたんだけど、ヒガンバナって子孫が残せないらしいんだよね。ゲノムが三倍体だとかどうとかで種ができないんだってさ」


遺伝子的には殆ど雌らしいんだけどと彼女は付け加える。


「喜多ちゃんさ。生物学的に無駄な事は辞めた方が良いよ。私に好意を向けられても、きっと応えられないし」

「結婚とかピーとかだけがお付き合いじゃないと思いませんか!?」


咄嗟に出た私の言葉に、彼女が今度は目を白黒させた。そして視線を逸らして口元を覆い、黄色い麦畑の髪に囲まれた肌色の大地は、あっという間に夕焼けのように紅く染まった。


「……我ながら自意識過剰って思ってたんだけど……さっきの冗談だからね喜多ちゃん」


私も反射的過ぎて、かなり恥ずかしい返事をしてしまったようだ。きっと伊地知先輩に負けず劣らずの朱色が照り返しているに違いない。ついと花束から一本を引き出して彼女は嗤う。


「黄色いヒガンバナの花言葉はね……思いやり、陽気。そして元気な心らしいよ」


色は私みたいだけど、喜多ちゃんそっくりだね。そう薔薇の花を一輪手向けるように差し出した。これは私も粋な返しをしなければという事だろうか。文化祭でひとりちゃんに無茶なMCを振ったのを後悔する。


身構えている時には、死神は来ないものだとはよく言ったもの。いざ自分がその立場になったからこその葛藤が分かる。


「確か……赤いヒガンバナは情熱……そして再会って意味がありましたよね!?」

「何故に疑問形?」

「ほっ、ほら! 誰よりもバンドに傾倒してて、私と伊地知先輩は運命的な再会を……」


そういって先輩の目が更に丸くなった。


「そうだね……確かに喜多ちゃんは逃げても戻ってきたよね」


その発言は私にクリティカルヒットです。もう喜多郁代のライフは僅かしか残ってません。そう息も絶え絶えな状況。階上のドアベルがカランと音を立てるのが救世主だと思って仰ぎ見る。


「二人、早いね」

「お……お疲れ様です」


リョウ先輩とひとりちゃんが珍しく揃って顔を出す。作曲でもしていたのかと思いきや、ビニール袋には更なるヒガンバナが顔を出している。


「え……リョウ、何それ?」

「何……ってヒガンバナだけど」


ひとりちゃんが持ち込んだのも足りないと思って継ぎにきたんですかね。そう同情を求めるが、自他ともに陰キャ判定のクラスメイトはキョドりながらも事情を説明する。


「……リョウ先輩……これからヒガンバナ粉を作るらしいです」

「有識者が言ってた。水気に晒して毒素を抜けば食べられるって」

「食の権化だなオイ! 止めとけよッ!」


先輩らがギャアギャア騒いでいるのを横目に、私は仲間が増えた花瓶を見やる。赤と黄の間に挟まった白い花。物珍しく手で触れる。色素が抜かれたような純白は、まるで画用紙やウエディングドレスのように清楚に見えた。それに見とれていたように思われたのか、おずおずとひとりちゃんが口を紡いでくる。


「よかったらあげましょうか。頑張って探したので」

「これを? でもどうして?」

「喜多ちゃんは物知りですから多分知ってると思いますけど……」


白いヒガンバナの花言葉は……想うは貴女一人、だそうですよ。


「お……応援してましゅ!」


親友が盛大に咬んだ事なぞ気にならない。その一輪を手に先輩へと歩き出した。きっと私の顔は、赤いヒガンバナよりも深紅に染まっているに違いない。