逃げたギターを捕まえて

地獄のような熱さも幻のように消え去り、肌寒い日が続くようになった。あたしたちはまだ学生。新学期も始まり、夏季休暇で緩んでいた気もちも元に戻りつつある。

秋――。食欲も睡眠欲も増す季節。過ごしやすい気候になると共に、美味しいものが市場に出回り始め、秋ならでらのイベントが開催される。そんな季節。

人当たりはいい方だけれど、どちらかといえばインドア派なあたしとしては、秋が訪れてもそんなに生活は変わらない。少しだけ日が落ちるのが早くなった空を眺めながら、衣替えのタイミングや旬の食材を使った夕食のことを考えるくらい。

しかし、「超」がつくほど陽キャでアウトドア派な後輩にとっては違うらしい。目を輝かせた彼女は、今日も元気いっぱい訴えかけてくる。

「秋になりましたね! 秋ならではのイベントも始まりますし、結束バンドでどこかに出かけましょう!」

「いつもスタジオに集まってるじゃん。9月限定の割引クーポン使って」

「そうじゃありません!」

リョウがそこらへんで摘んできたらしい草を食べながら突っ込みを入れる。また楽器を購入してお金がなくなったのかもしれない。しかし、リョウの主張は一蹴された。喜多ちゃんはますます目を輝かせてあたしたちに迫ってくる。

「喜多ちゃんの気持ちは分かるけど、活動が忙しくて、最近はたいていライブしてるか練習してるかノルマのためのバイトしてる状態じゃん。だから、みんなで都合を合わせてどこかに行くのは難しくない?」

「だからこそですよ! 活動が忙しいからって何も計画立てなかったら、それこそ何もできずに人生終わっちゃうじゃないですか」

さすがにスケールが大きすぎだとは思うが、喜多ちゃんの主張も一理ある。10代や20代前半の時間を楽しめるのは今だけだ。しかし問題がある。喜多ちゃんが望む「みんな」には究極のインドア派が二人も含まれている。

「ちなみにどこ行きたいの?」

「秋祭りと、遊園地と、ハロウィンイベントと……あ、季節限定のパフェとかも食べに行きたいです。最近イソスタでバズってるお店で、入店するまで約3時間待ちらしいですけど!」

喜多ちゃんは携帯を操作して、お店の画像をあたしに見せてくる。

「――ほら、ここです! リョウ先輩も、ひとりちゃんも一緒に行きましょう! って、あれ?」

不思議そうに全身を使って辺りを見回す後輩に現実を突きつけた。

「リョウもぼっちちゃんも、喜多ちゃんがお店の画像を探してる時に用事があるからって帰っちゃったよ」

「なんでですかー!」

喜多ちゃんは大きな声で嘆いた。いつもうるさい喜多ちゃんとはいえ、ちょっと可哀想だ。正直なところ、人が多くて疲れる場所に行きたくないリョウやぼっちちゃんの気持ちも分かる。でも、あたしまで逃げ出したらそれこそバンド解散の危機だ。

喜多ちゃんから逃げ出した二人にはあとで注意することにして、彼女に寄り添うことにする。

「ほら、元気出して。あたしは付き合うからさ。それで、喜多ちゃんはどこに行きたいの?」

「本当ですか!? それなら、今からファミレスに行ってお休みの計画を立てましょう!」

お気に入りの二人がいなくなってしまったことで落ち込むかと思いきや、そうはならなかった。彼女は目を輝かせてあたしの手を握ってくる。

あたしは喜多ちゃんの勢いに乗せられて、気がつけば彼女と遊びに行く計画を三時間くらい立てていた。

 

 

きた「今、家をました!」

にじか「もう出たの? 早くない?」

きた「先輩の家で準備させてください! 部屋に荷物置いてもいいですよね?」

にじか「別にいいけど。気をつけてね」

 

「了解」と書かれたスタンプが送られてきたあと、喜多ちゃんからのメッセージは止んだ。

今日は喜多ちゃんと花火大会に行く。夏にも色々な場所で花火大会は開催されていた。しかし、喜多ちゃん曰く秋にはまた別の趣があるらしい。

待ち合わせ場所はあたしの家。喜多ちゃんと遊びの予定を立てていて気がついたことがある。彼女はあたしの「車」を結構あてにしているらしい。

あたしが遊びに付き合うと言って喜んだのは、あたしが「足」になるからかもしれない。そんな、あたしと遊ぶこと以外の要素に強く喜びを感じていそうな後輩に呆れの気持ちを抱きつつ、出かける支度を整えた。

考えてみればバンド活動以外で遠出をするのは久しぶりだった。支度をしているうちに、楽しい気持ちになっている自分に気づく。

服装はゆったりとしたTシャツにパンツ。身バレ防止のためにキャップも被る。おしゃれよりも動きやすさを重視した格好。活動的な喜多ちゃんと過ごすのであれば、カジュアルな装いが相応しいと思った。

しばらくして家のインターホンが鳴らされた。室内モニターを見れば、彼女の荷物の大きさに面食らった。

「せんぱーい! 開けてください!」

「今行くから、ちょっと待って」

扉を開けて彼女の荷物を目の当たりにすると、その存在感に改めて驚いた。

「どうしたの、その荷物。いくら車だからって気合い入りすぎじゃない?」

「これは先輩のために持ってきたやつです」

「あたしのため?」

「はい! とりあえず、上がらせていただきますね!」

喜多ちゃんはまるで我が家であるかのように上がり込んできた。家出した時にかくまっていたため、勝手知ったる我が家の状況なのかもしれない。

すれ違いざまに声をかけられた。

「先輩は、もう出かける支度はできてるんですか?」

「まあね。喜多ちゃんが早く家に来るって言うから」

「その格好で行くんですか?」

「そのつもりだけど」

「そんなのだめです!」

「へ?」

喜多ちゃんは頭のてっぺんから爪先まで見つめてくると、むすっとした顔をした。

「お祭りだし、動きやすい服の方がいいと思ったんだけど」

「そうかもしれないですけど。でも、せっかくのお出かけなんですから、とっておきの格好をしましょう!」

「いきなりそんなこと言われても……」

特別な格好を求められても、彼女でもあるまいし、何を着ていいのかわからない。

「先輩のことですからね。こんなこともあろうかと思って、私、先輩の服も持ってきました! 早速着付けしましょう!」

「着付け?」

彼女に手を引かれて寝室に連れ込まれる。喜多ちゃんは嬉々として自分の荷物を探ると、華やかな色の浴衣を取り出してきた。まさか、と思うと同時にあたしの予感は的中した。

「今日は二人で浴衣を着て行きましょう!」

「いや、無理でしょ!」

「なんでそんなこと言うんですか!?」

「だって、あたし車の運転しなきゃいけないし」

「スニーカー履けばできますよね? 靴は向こうで履き直せばいいんですよ! 着崩れても私が着付け直しますし。私、先輩と浴衣で出かけるの、ずっと楽しみにしてたんです!」

キターン! という効果音が聞こえてきそうなほど輝いてみえる満面の笑みを浮かべて彼女は笑う。そんな風に言われれば、とても断りにくい。元気あふれた後輩に押し切られたあたしは、彼女の望みどおり浴衣を着ることになった。

 

浴衣に着替えたあたしたちは車で現地に向かった。

喜多ちゃんの荷物のほとんどは、浴衣やそれを着るために必要な衣装や道具だった。

身軽になった彼女は笑顔で助手席に座っている。喜多ちゃんの選んだ浴衣に身を包んだあたしは、スニーカーを履いて、足を開いて、アクセルとブレーキを操作している。多少帯がきついけれど、運転は問題なくできた。

喜多ちゃんの着付けに関わる技術は思っていたよりもすごかった。彼女の話によると、浴衣を可愛く着こなすため色々と勉強した時期があったのだという。ギターボーカルやイソスタでの活動もそうだが、喜多ちゃんの探求心には舌を巻いてしまう。

現地に到着したあたしたちは、宣言どおり喜多ちゃんに服の乱れをなおしてもらい、まずは出店に向かった。喜多ちゃんが指定席を購入してくれているため、場所取りの心配はいらない。

あたしたちは時間いっぱい遊び歩いた。はじめは喜多ちゃんを見守るくらいの気持ちだったけれど、いつの間にか喜多ちゃんに負けないくらいはしゃいでいた。

出店の食べ物は、なぜこんなにもおいしく感じるのだろう。そして、なぜ輪投げなどの簡単な遊びがこんなにも楽しく感じるのだろう。

片手に焼きそば、片手に綿飴を持って千本引きの列に並んでいたら喜多ちゃんに笑われた。喜多ちゃんこそ、イチゴ飴を持つ手には雑貨屋で買った光る腕輪を何個もはめられていて、まるで小学生みたいだった。

たくさん遊んでお腹いっぱいになったところで座席に向かった。

天気も良く、見通しも良好。隣を見れば艶やかな色の浴衣に身を包んだ喜多ちゃんがいる。髪も浴衣に似合う感じで奇麗にまとめられていて、とても可愛い。

「先輩、写真撮りましょう?」

慣れた手つきで自撮り棒が掲げられる。一呼吸置いて、喜多ちゃんの携帯が手元にやってくる。画面には、喜多ちゃんに寄り添いながら満面の笑顔を浮かべる自分が映っていた。とても良い画像だと思った。

顔を上げれば、こちらを見ていた喜多ちゃんと目が合った。

「すごくはしゃいでますね」

「そうかも。やっぱりこういうイベントは楽しくて」

「そうですよね!」

喜多ちゃんは楽しそうに笑う。つられてあたしも笑ってしまった。

遠くから打ち上げについて知らせるアナウンスが聞こえてくる。周りの人たちは、これから始まる花火に心を躍らせてざわついている。

きっとあたしも会場の雰囲気につられたのだろう。柄にもなく彼女に本音を伝えてしまう。

「喜多ちゃん、ありがとう! 喜多ちゃんがいるから、あたしはここで楽しめてる」

「そんな大げさですよ」

「大げさなんかじゃないよ。喜多ちゃんには振り回されることも多いけれど、それと同じくらい――いや、それ以上に助けられてる。だって喜多ちゃんがいなければ、こういうところに遊びに行こうとは思わなかったし、結束バンドだって知名度も活動範囲ももっと狭かったと思うんだ」

帯で締められた腰をまっすぐ伸ばして、彼女の若芽色の瞳を見つめる。

「喜多ちゃん。結束バンドに入ってくれてありがとう。喜多ちゃんが結束バンドに入ってくれて本当によかったと思ってる。これからもよろしくね!」

 その場の勢いに乗って、心からの感謝の気持ちを伝える。

「先輩、私はそんなんじゃーー」

喜多ちゃんは目を伏せた。謙遜する彼女は珍しい。そんな彼女について深く考える余裕も無く、立ち上るような高音の後に体に響く大きな低音がやってきた。

「花火だ!」

顔を上げれば、色とりどりの光が空を彩っている。夢中になって見ていたら腕を引かれた。

「――先輩」

耳元で話しかけられる。

「私、先輩の期待に応えられるようがんばりますね!」

「うん。期待してるよ!」

鮮やかな音と光にあてられて高揚する気持ちそのままに笑顔を向ける。その日は、日付が変わるまで喜多ちゃんと楽しんでしまった。花火が始まる前、彼女に覚えた違和感はすっかり忘れていた。

 

 

「喜多ちゃんが来ない! ぼっちちゃん、リョウ、なにか聞いてる?」

「いや、なにも」

「す、すみません」

いつもより大きな箱で行うライブの前日。それなりに大事な最後の通し稽古だったにも関わらず、約束の時間を過ぎても喜多ちゃんが現れない。二人に聞いても心当たりは無いようだった。まず、考えてしまうのは突然の体調不良や事故のこと。

「どうしよう。何かあったのかな?」

「たぶん、虹夏が想像してることとは違うと思う」

「どういうこと?」

「ほら、これ」

差し出されたリョウの携帯を手に取った。

「これは……!」

喜多ちゃんのイソスタが更新されている。それは、明日のライブを宣伝する内容だった。しかし、更新時間と掲載されている画像が問題だった。

「これ、たぶん今さっき撮られたやつじゃん! しかも、どこ!?」

「今の時期、イルミネーションで有名な遊園地だってさ」

「なんでそんなとこにいんの!?」

「逃げたのかもね」

リョウの言葉に背筋が冷たくなる。

「なんでそんなことを言うの?」

「郁代、明日のライブのことでイソスタ炎上させてたから」

「え、知らないんだけど。何かあったの?」

驚いてぼっちちやんにも顔を向ける。申し訳なさそうにもう一人の後輩が首をすくめる。どうやら知らなかったのはあたしだけらしい。翌日ののライブの準備でまったく把握できていなかった。

「昨日の夜中に、対バンの人が喜多ちゃんのことを画像をアップして褒めたらしいんです。その人、ガチ恋ファンが多い人なんですけど。誰かが喜多ちゃんのイソスタ引用して『匂わせ』だとか言い始めて、気がつけば個人攻撃になってて」

「言っておくけど、郁代はその人と何も無いよ。郁代は今でも私にぞっこん。遊び人ってあだ名付けられてる人だから、その人が郁代を気にかけてるだけ。虹夏も連絡先聞かれてなかった?」

「あの、私、今朝心配になってロインしたんですけど、喜多ちゃん大丈夫だって言ってたんです。でも、最近の喜多ちゃん、この炎上のこと抜きにしても何か悩んでるみたいで。それで、なんとなく嫌な予感はしたんですけど、断言はできなくて……。うぅ、役立たずでごめんなさい」

自責するぼっちちゃんを慰めながらイソスタを確認する。確かに、喜多ちゃんのアカウントは荒れていた。「一人だけ実力が劣ってる」「出会い目的でバンドしてる」なんてひどいコメントも書いてあった。

ギターボーカルでMCもこなす喜多ちゃんは、結束バンドのフロントマンだ。だから、人気も批判も集まりやすい。SNS大臣を任命されてる彼女も、大事なライブの前にこの状況で、さすがに余裕が無くなったのかもしれない。

それでも、あたしのやることは決まっている。

「喜多ちゃんを向かえに行こう!」

あたしは断言した。いくら精神的に参っていても、何の連絡もよこさないのはまた別の問題だ。それに、練習には遅刻しているけれど明日の宣伝をするあたり、ライブへの意欲は消えてないのだろう。

また喜多ちゃんが逃げ出したのならば、また捕まえ直せばいい。

「ほら、リョウもぼっちちゃんも行くよ!」

「私はここで待ってる」

「わ、私も。すみません」

「なんで?」

「虹夏だけでも大丈夫だよ。それに、明日に備えて私たちだけでも練習しないと」

「あ、私もそう思います。すみません」

「……本音は?」

「人混みに行きたくない」

「カップルが多くてコンプレックスが刺激されそうな場所はちょっと……」

大きなため息が出た。あたしのバンドは、どいつもこいつも問題児ばかりだ。

「それに、私たちが行くよりも、虹夏だけが行ったほうがいいと思うんだ」

「なんでよ?」

「ただの勘」

無責任なことを言うリョウをたしなめてもらおうと、ぼっちちゃんを見たら目を逸らされてしまった。似たもの同士。こういうとき、息を合わせるから困ってしまう。

「分かったよ。行ってくる。後のことは任せてもいいんだよね?」

「うん。もし、郁代が移動したら連絡するから」

「お願い」

ここで時間を割いてもしょうがない。あたしは喜多ちゃんのイソスタに「今迎えに行くからそこで待ってろ」とコメントして、荷物を手に取った。

 

車を出した。なんとなく、電車で向かうよりも車の方がいい気がした。

財布の中には入園料が払えるくらいのお金は入っている。順調に喜多ちゃんを回収できても、本日のリハには間に合わないだろう。

現地に着くまでに何回ため息をついたか分からない。リハをサボるくらい悩んでいるなら、こんなことになる前に頼ってくれればいいのに。そんなことばかり考えてしまう。

駐車場に車を停めて入園した。リョウからのロインで、喜多ちゃんがどこにいるかは分かっている。園内の地図を頼りに奥へと進んでいく。

すでに日は落ちているから、あたりはイルミネーションの光であふれていた。色とりどりの光を浴びていたら、ふと彼女と過ごした花火大会のことを思い出した。

たくさんの人に酔うこともなく全力でイベントを楽しんでいた彼女。遊園地にいる人のほとんどがカップルや家族連れ、友人らしき集団で疎外感を感じる。陽キャの権化ともいえる喜多ちゃんが、こんなところで一人過ごせているのだろうか。

自然と足が速くなった。ようやくリョウが示した場所に辿り着く。

喜多ちゃんは、すぐに見つかった。彼女は、この遊園地で一番目立つ観覧車を見上げていた。

「喜多ちゃん」

「先輩!」

あたしに気が付いた喜多ちゃんは、満面の笑みを浮かべた。

「先輩、これ乗りませんか?」

「喜多ちゃん、自分が何をしているか分かってるの?」

置かれた状況にそぐわない態度を取る彼女に憤りを覚えながら近づく。

「ほら、帰ろう。リョウもぼっちちゃんも喜多ちゃんのこと心配してるし待ってるよ」

彼女の腕を掴んでその場から動こうとした。しかし、喜多ちゃんは微動だにしなかった。

「嫌です」

「なんで?」

「大事なリハをサボってこんな所にいるのに怒らないんですか?」

「今日のリハが大事だと思ってるのにこんな所にいるのは、何か理由があるからでしょ。怒ってはいるよ。でもそれは、またあたしたちに何も言わずに突っ走ってることに対してだから。すぐに帰るのが嫌なら、どこかでご飯でも食べる? どうせ今からじゃスタジオの予約時間に間に合わないし」

「……先輩には敵いませんね。怒って罵ってくれれば楽だったのに」

「そうして欲しいのならそうするよ。でも、それじゃ喜多ちゃんの悩みは解決しないでしょ。それで、どうしたの?」

「とりあえず、観覧車に乗りませんか?」

困ったように喜多ちゃんが笑う。少しばかり大人しくなった彼女のお願いを受け入れる。そこには遊び以外の理由があると信じたい。

喜多ちゃんと観覧車に乗り込んだ。扉が閉められて小さい箱の中で二人きりになる。

「綺麗ですよね」

園内のイルミネーションが見渡せる高さに来たころ、喜多ちゃんは口を開いた。

「そうだね。今度遊びに来てもいいくらい」

「……先輩、ごめんなさい。私また、逃げ出しちゃいました」

「とりあえず、喜多ちゃんの気持ちが聞きたいな」

喜多ちゃんは肩を落としながら語った。

リョウやぼっちちゃんの予想通り、イソスタの炎上の件を気に病んでいるようだった。その中でも、「結束バンドのなかで一番実力が劣る」「聞く価値がない」というコメントが彼女を傷つけたようだった。

「あたしは喜多ちゃんの歌もギターも好きだよ。リョウもぼっちちゃんも、きっと同じ気持ち。それじゃ、だめかな」

「ダメです! だって私のせいでみんなの足を引っ張ってしまうから」

「喜多ちゃん、歌もギターもどんどん上手くなってるじゃん。足なんて引っ張られてないよ」

「そんなことを簡単に言えるのは、先輩が小さいころからドラムを叩いてるからです! 小さいころから音楽がそばにあった先輩に、私の何がわかるんですか!」

狭い箱に響く必死な声を聞いて、今回彼女がやらかした理由をなんとなく理解できた気がした。

「リョウ先輩だってそうです。ひとりちゃんだって、ずっとギターを弾いてきてます。それを考えると、みんな凄いのに私だけ色々なことがまだまだで。結束バンドは人気出てきているから、もっと頑張らなきゃいけないのに。それなのに、頑張れば頑張るほど実力の差を実感するばかりで。今回なんて、対バンの人に頼まれて記念撮影しただけで、曲や演奏のことなんて二の次で、色んなことを勘ぐられてこんなことになっちゃうし。私のことだけならともかく、ひとりちゃんや先輩たちのことまで悪く言う人が出てきて、もうどうしたらいいか分からなくなっちゃいました」

頂上が近づく。窓の外には同じ高さの建物なんて何もない。あたしは園内で一番素敵だろう景色に目もくれず、意気消沈した彼女をじっと見つめた。

「――あたし、喜多ちゃんの気持ち分かるな。たしかに、あたしは小さいころからドラム叩いてるよ。でもさ、練習すればするほど、もっと上手い人――才能ある人っていうのかな、との差を実感する。あたしなんてさ、小さいころからやってる割には、そこまで上手くなくて。正直、どんどん上手くなる喜多ちゃんの成長力を羨ましいって思ってる。それに、リョウもぼっちちゃんも才能の塊って感じだしね」

たぶん、喜多ちゃんは本気で音楽に取り組んでる。それがすべて結束バンドのためなのかそうでないのかは、本人じゃないから分からない。でも、喜多ちゃんは確実にミュージシャンとして成長してる。

喜多ちゃんは、リョウやぼっちちゃんを崇拝しているところがある。逃げ出した理由が演奏の実力にも関わることならば、彼女を連れ戻すのはリョウの言ったとおり、あたしが適任だったかもしれない。

「不安?」

彼女は静かにうなずいた。

「音楽ってさ、みんなと合わせてるときは楽しいけど、練習してるときは孤独だよね。それでいて、自分よりセンスがいい人もたくさんいてさ。時間をかけたぶん必ずしも上手くなるわけじゃないし、取り組めば取り組むほど、なんなんだーって感じ。もう上を見だすとキリがないから、あたしは自分が成長することを目指してひたすら取り組んでる。それでも、弱音を吐きたくなることも結構あるんだけどさ」

ふと、花火大会のことを思い出した。彼女を褒めたにも関わらず、それが素直に伝わらなかった感覚。今はあの時よりもはっきり伝えなければいけないのかもしれない。

「あたし、喜多ちゃんの歌もギターも好きだよ! 少し前まで初心者だったのに、あっと言う間にライブできるようになってさ。見えない所でたくさん努力してるんだろうなっていつも思ってる。そんな、音楽に対する姿勢も含めて、喜多ちゃんのことが好き! ……まあ、大事な時に連絡つかなくなるのはどうにかして欲しいと思うけれど。でも、喜多ちゃんが結束バンドに入ってくれてよかったと本当に思ってる。あたしは先輩だからさ、喜多ちゃんの悩みをすべて解決させることはできないけど、喜多ちゃんが悩んでるときに、愚痴を吐ける相手ではありたいと思ってるんだ。それに、明日の対バンの人とのことは気にしなくていいよ。むしろあたし、その人にお願いされて連絡先交換して、食事にいく約束までしちゃったし……」

「何やってるんですか!?」

ゴンドラが最高点に達しただろう時、喜多ちゃんが目を向いて飛びついてきた。

「いやー、コネは多い方がいいと思って軽い気持ちで約束しちゃったんだけど、喜多ちゃんにもアプローチしてるみたいだし、強火のファンもいるみたいだしで、軽率な対応だったかなーなんて今は反省してる」

「ちょっとしっかりしてくださいよ! 今すぐ断ってください! あたしだけでなく先輩にまでなにかあったらどうするんですか!?」

「ごめんって。とりあえず明日のライブが終わったら、炎上の件もあるし、断りの連絡入れるからさ」

喜多ちゃんを見ながら肩をすくめる。継ぎ目の所に来たのか、鈍い音とともにゴンドラが小さく揺れた。あたしはすかさず、近づいてきた喜多ちゃんの手を取った。

「こんなリーダーだけどさ、結束バンドのギターボーカルとして、明日のライブに出てくれる?」

上目づかいで彼女の表情をうかがう。次の瞬間、あたしは喜多ちゃんの腕の中にいた。

「ごめんなさい。逃げ出して、ごめんなさい」

あたしの肩に顔を埋めて彼女が言う。鼻声だ。もしかしたら泣いているのかもしれない。

「大丈夫。この埋め合わせは、明日のライブパフォーマンスでしてもらうから。喜多ちゃんならできるでしょ?」

彼女の背中をさすりながら優しく話しかけたら体が離れた。目の前の喜多ちゃんは指で涙を拭いながらうなずいた。

カバンからハンカチを取り出して、彼女の涙を拭いてやる。この調子であれば、喜多ちゃんは明日からいつもどおりの元気を取り戻して、結束バンドを盛り上げてくれることだろう。あたしは満面の笑みを浮かべた。

頂上は過ぎてしまったけれど、ゴンドラはまだ高い所にある。

「せっかくここまできたからさ、喜多ちゃんと一緒に外の景色見たいんだけど、どうかな?」

できれば、払った入園料の元は取りたい。そんな邪な気持ちから生まれた提案だった。しかし、ゴンドラから眺める色とりどりのイルミネーションは、そんな考えなど一瞬で忘れてしまうくらい奇麗だった。隣に座る喜多ちゃんも、きっと同じ気持ちだと思った。

 

 

無事に戻ってきた喜多ちゃんを受け入れて、結束バンドは見事にライブを成功させた。

今から思えば、あれはバンド活動を続ける中でだんだんと追い詰められていた喜多ちゃんが、自分を守るためにとった行動だったのかもしれない。

喜多ちゃんは、しっかりしているように見えて突拍子もないことをする。それは、リョウもぼっちちゃんも知っているから、みんな逃げ出した喜多ちゃんを特に責めることなく受け入れた。喜多ちゃんはそんなみんなの期待に応えて、今も元気に結束バンドのフロントマン――ギターボーカルを勤め上げている。

――そして、またピンチはやってきた。

「今どこにいるんだ喜多郁代ぉ!」

「伊知地先輩ごめんなさいぃ!」

もはや、フルネーム呼びである。結束バンドの初めての全国ツアー。その出発前にまた喜多ちゃんが逃亡した。その日は、スタッフなどは入らないバンドメンバーだけで行う最後のリハの日で、喜多ちゃんだけが約束の時間に現れなかった。

嫌な予感がして電話をかけたら、またも違う場所にいた。それも今度は紅葉で有名な観光地。今まできちんと練習はこなしていたから、その日のリハが行えなくてもツアー自体に問題は生じないと思う。それに、ツアー開始前に余裕を持って往復できる距離にいるから、おそらく彼女も分かってやっているのだろう。

しかし、この悪癖。いつまでたっても逃げたギター。大舞台が近づいたとき、しばしば発動するこの行動は、長らく付き合っているあたしたちとしては、彼女なりのルーチンなのではないかとすら思っている。

結束バンドのギターボーカルは喜多ちゃんしかいない。そして、結束バンドはくせ者ぞろいであるから、あたし含めたバンドメンバーもお互い様みたいな感じでその奇行を受け入れている。

たとえば、常に金欠のリョウはファンに貢がれすぎたことで炎上したし、ぼっちちゃんは極度の人見知りにより大御所の前で失態を披露して炎上したし、あたしもまったく自覚のなかった思わせぶりな態度で他バンドのメンバーとひと悶着起こして炎上した。

そんなことがあった以上、誰も喜多ちゃんだけを責められない。むしろ、バンドメンバー以外に迷惑をかけないのであれば、大事なライブ前で逃げ出すくらい可愛い癖なのかもしれなかった。

いつ崩壊してもおかしくない状況を乗り越えながら、結束バンドは順調に活動を続けている。

そんな愛すべきバンドのリーダーとして、今やることはただ一つ。

今日もあたしは、逃げたギターを捕まえにいくのだった。