大学生になってから交友関係が広がった喜多ちゃんと、そんな喜多ちゃんが結束バンドから離れていってしまわないか心配する虹夏ちゃんのお話。
目が覚めると、そこは先輩の部屋だった。
寝起きで鈍った頭に鞭を打ち、昨夜の記憶を呼び覚ます。
確か、私は先輩の家に遊びに来て、そのまま体力の限界を迎えて、お風呂にも入らないまま寝てしまったのだった。ライブの後に、見に来てくれた友達とオールして、大学に行って、アルバイトして、そのまま先輩の家に転がり込んだのは失敗だったかもしれない。
夕飯の後、店長と三人でくだらない話をして盛り上がったのは覚えている。その後、先輩の部屋に我が物顔で乗り込んで、ふざけて先輩に抱きつきながらベッドにダイブして、そこから記憶が飛んでいる。
大学生になり、昔よりも自由に行動できるようになった。こうして自宅に帰らないこともある。先輩に怒られない限り、バンド活動としては特に問題無いはずだけれど、今回ばかりは羽目を外し過ぎたと反省してしまう。
同じベッドにいるはずの先輩を探す。しかし、そこには誰もいなくて、伸ばした腕は空をきるばかり。きっと先輩は、起きない私を置いてひと足先に朝食の支度でもしているのだろう。そう考えて体を起こした。
その時、手首に違和感を覚えた。よく見ると、先輩がいつも身につけているリボンが右手に巻かれている。可愛らしい蝶々結び。いたずらのつもりなのだろうか。私を起こさないよう気をつけながらリボンを巻く先輩を想像して呆れてしまう。
私は驚いてしまった。普段、必ず身に付けるほど大切にしているものを、こうして預けられているのは、それだけ信頼されているということなのだろうか。
外に出る前に服を着る。だらしのない格好で、店長に鉢合わせするのは避けたい。先輩により結ばれたであろうリボンが解けないよう気をつけながら身支度を調える。
いつもであれば、すぐ洗面台に向かうところだが、先輩がいるであろうダイニングキッチンに向かう。顔を洗う前に、右手首に結ばれたリボンの理由を知りたい。
予想通り、先輩はキッチンに立っていた。パチパチと甲高い音がするあたり、何かを炒めているのだろう。先輩は私に気づくと、菜箸でフライパンをつつきながら笑顔を向けてきた。
「喜多ちゃんおはよう。よく眠れた? 昨日は相当疲れてたみたいだね」
「なんかすみません」
「大丈夫だよ。喜多ちゃんはいつも忙しそうにしてるからね。見てるこっちが心配になるくらい。まあ、いつも私たちの所に戻ってきてくれるから良いんだけどさ」
「先輩」
「どうしたの? 朝ごはんまで、まだ時間かかるけど。今日も食べていくんでしょ?」
「これのことなんですけど」
私が右手を掲げると、先輩は苦笑いした。
「あー、それか。なんとなく、喜多ちゃんに付けてみたくなったんだよね。私より似合うかと思って」
「そうなんですか?」
「うん」
先輩は気まずそうにうなずいた。
私の動きに合わせて、赤色に桃色の水玉模様があしらわれた生地がひらりと揺れる。
このリボンは先輩の方が明らかに似合う。先輩の黄色い髪に赤いリボンは映えるけれど、私の髪色では埋もれてしまう。先輩だって、そのくらい分かっているはずなのに、それでも「私に似合う」と言う。私は、私とは少しだけ違う赤色に目を落とした。
「先輩、これ、外してくれませんか?」
「え?」
ものすごくショックを受けたような顔をされる。私は慌てて弁解した。
「いや、これから歯を磨いたり顔を洗ったりしようと思うんですけど。これ、付けたままだと汚れてしまうと思うので。それに、先輩の大切なものだと思うので、自分で取るのも気が引けて」
「そっか。それならしょうがないね」
先輩は火を止めると、私に向き直ってリボンに手を伸ばした。布の端が引っ張られて解けたと思ったら、そのまま二の腕に結び直されてしまった。
変わらず、私の体には先輩の赤色が付けられている。
「先輩、あの……」
「これなら、洗面台を使ってもリボンが汚れる心配はないでしょ? 今日のところは、付けたままにして欲しいなーって」
私は先輩をじっと見つめた。
「――先輩って、不器用ですよね。でも、そんなところも可愛いと思います」
「えっ」
先輩はおもしろいようにたじろいだ。
先輩は可愛らしい。一緒に過ごすほどそう感じる。付き合いも長くなり、気の置けない仲になった。年上なこともあり、初めは「頼りになる先輩」としてあまり隙を見せてくれなかったけれど、今では、こうして甘えてくる。
私が離れるのを恐れているのであれば、もっとはっきり告げればいいのに、こんな絡み方をされる。そして私は、そんな先輩に絆されている。
回りくどい気もするけれど、結論からいえば、甘え上手。嫌な気はせず、むしろ先輩の態度がいじらしい。
先輩が甘え慣れているのは、妹だからかもしれない。一人っ子の私にとって「兄弟」という関係は未知数だ。友達の話を見たり聞いたりして、想像することしかできない。
まるで、お気に入りのおもちゃに名前を書く子供のよう。そんな先輩の少し面倒な無邪気さは、私の心をとらえて離さない。そんな彼女を妹に持つ、店長が羨ましい。
「先輩! やっぱりこれ、外してください」
「ええっ!」
今度は、酷く傷ついたような顔をされた。愕然とする先輩に私は告げる。
「それで、シャワーを貸してください。昨日、お風呂に入らず寝ちゃったから。だから、それが終わったらまた結び直してくれませんか?」
「――うん。そういうことなら」
先輩は満面の笑みを私に向けた。手が伸ばされたかと思ったら、するりとリボンが解かれた。
「それじゃ、終わったらまた声をかけてね」
先輩は再びコンロの火をつける。フライパンを操作する手がリズムに乗っているところを見ると、それなりに機嫌が良さそうだ。
リョウ先輩やひとりちゃんも分かりにくいところがあれけれど、先輩もなかなか素直でない。またリボンを結び直してもらったら、お礼として正面から抱きしめてみようか。そうしたら、どんな反応を見せてくれるのだろう。
真面目で向上心のある先輩を、いつも頼りにさせてもらっている。時を経るたび、どんどん格好良くなるリョウ先輩も、ますます演奏技術に磨きをかけているひとりちゃんも、私の中では今でもまぶしい存在だ。
大学に進学して、どんなに世界が広がったとしても、先輩をはじめ、みんながいるこの場所を私は大切にしていると分かってくれるだろうか。
腕の中に収まった小柄な先輩を想像しながら、そんなことを考えてしまった。