虹夏ちゃんと付き合って半年、中々先に進めないことに不安を感じる喜多ちゃんのドタバタラブコメ
「つなげばいいじゃん」
カウンターに腰を下ろしてつまらなそうにほおづえをついたまま、店長が渋ぅい声で言う。軽く言ってくれますけど、それができたらこんなこと相談なんてしないじゃないですか。わたしもわたしなりに考えて、いろいろ試してみて、でも、どうしてもできなくて困ってるんです。
店長はうさんくさそうにこうべをめぐらす。視線の先、お店のなかほどにはテーブル。リョウ先輩とひとりちゃんがポツンポツンと座っている。二人にもすっと相談には乗ってもらってきたけれど、あんまりはっきりした解決策が出ないままだった。それを気に病んでっていうわけじゃないだろうけれど、最近はわたしが話しかけてもいまいち返事が遠い。今も顔を見合わせたりうつむいたり、目をそらしたりしている二人をしげしげと眺めてから、店長は大きなため息をこぼしてわたしを見た。
わたしが真剣に見つめ返すと、店長はぶすっとしまま先を促してくる。さっきから相談している内容っていうのは、わたしたち結束バンドのリーダー・ドラム・いつもわたしたちをまとめて引っ張っていってくれる、かわいくて頼もしい伊地知先輩のこと。普段の活動では前に立ってわたしたちの進む道を示してくれ、ステージでは後ろからわたしたちのことを支えてまとめ上げてくれる。ときには厳しいことも言われるし、怒られたことだってたくさんあるけれど、みんなことを見て、盛り上げて、遊びにだって付き合ってくれる。とびっきりかっこよくて、とっても楽しい、大好きな先輩。
そんな先輩だけど、うぶでかわいい一面もある。たとえばこないだ二人でデートに行ったとき。伊地知先輩のおうちの下で待ち合わせをして、駅まで歩くことにした。並んで歩きながら、話をはずませながら、デートなんだからと思ってそっと手を握ってみた。先輩も握り返してくれたのはうれしいんだけど、急にすごく緊張されてしまって、なんだか空気が悪くなってしまう。会話もぎこちなくなって、止まってしまった。その上、駅が見えてきたところで突然手を振りほどかれる。「きょうはここまで!」って、耳まで真っ赤にして言いながら。
もちろん、照れてる先輩は先輩でかわいいんだけども、もう何度もデートをしているにもかかわらず、いつだって手をつないでくれるのはおうちから駅が見えるまで。さすがにずっと続くとちょっと傷つく。もしかしてほんとはイヤなのかなとか、わたしはもっといろんなこともしたいのにとか、ひとつひとつは小さくても、積もり積もれば高くなり、わたしの背丈も越えるくらい、悩みの種が積み上がってしまうもの。
最初は、わたしだって先輩がかわいい! って話をしているだけだった。そのせいでひとりちゃんが溶けちゃったり、リョウ先輩が虚無になったりしていたのも懐かしい話。でも、1か月たち、2か月たち……指折り数えてみればもう半年もこんなことが続いている。だんだん不安になってきて、おしゃべりがお悩み相談になり、いま一番強いのは不安な気持ち。でも、こういう話への抵抗力が弱いひとりちゃんは溶けちゃうし、興味のなさそうなリョウ先輩は白い表情でほうけてるばかりだから、どうしようもなくなって店長に相談することにした。お店がひらく前の時間、忙しくないタイミングを見計らって話し始めたのが最初のところ。
それなのに、店長は大きなため息をこぼしただけだった。
「なんで白昼からノロケを聞かされなきゃならねえんだよ……」
「ノロケてなんかいません! これは真剣な悩みごとなんです!」
「ノロケるひとほどそう言うんですよね」
そう言いながら口元を抑えてクスクス笑っているのは、STARRYのPAさん。
「喜多さん、そろそろ半年でしたっけ」
「そうなんです……」
「チューはしたんですか?」
「最初に1回だけ……」
「そうなんですか」
「はい……」
そう。わたしと伊地知先輩のお出かけはただのショッピングや友だちデートじゃない。ちゃんとした恋人のデートだ。半年前、わたしから先輩に告白して、OKをしてもらった。あのときの先輩、本当にかわいくて、ついついそのままチューしちゃった。うれしくってうれしくてついつい。先輩は真っ赤になっていたけれど、にっこり笑って受け入れてくれた。
あれから半年、ぎこちないなりに付き合ってきたんだけれど、わたしたちは満足に手をつなぐこともできていない。いや、つないで歩くことはできるんだけど、すぐに離れちゃうというのか。
リョウ先輩には「考えすぎ」って言われた。ひとりちゃんは「だいじょうぶ」ってはげましてくれた。店長も「つなげばいい」って背中を押してくれる。いや、わたしが手をつなぎたいっていうこと、先輩も分かってくれている。そうじゃなければデートの時、あんなふうに握り返してくれないだろう。そもそも、最初についチューしちゃったときだって、きっと断られていただろう。だから、たぶん考えすぎなんだし、だいじょうぶなんだろう。ちゃんと「つなぎたいです」って言えば、先輩がなれてくれれば、きっとつないで歩いて行くこともできるんだろう。
でも、やっぱり少し不安にもなる。もしかしたら先輩は、こういうスキンシップとかイヤなのかもとか。でも、付き合う前は、むしろ何でもないように手をつないだり、ハグしたりしてたはず。チューはさすがにしたことがなかったけれど、イヤだって言われたこともなかったんだし。わたしが恋人だから照れてくれてるだけなのだとしたら、わたしだってうれしい。それは本当にうれしいんだけど……でもやっぱり限界というか、限度というか。
いやいや、もしかしたら、わたしが強引過ぎたのかもしれない。実は我慢させちゃってたりして、こういう小さなことがきっかけになって……ああっ! ダメだわっ! 堪えられないっ! 少しでもわかれる可能性を考えただけで背筋がゾワゾワしちゃう!
もんもんとしていたら、もうひとつため息をこぼした店長が向き直って、やんわりとした口調で話し始めた。
「ともかく、どうせ虹夏は照れてるだけなんだから、何回か握ってなれたらすむ話だろ」
「それは新鮮味がなくなっちゃうってことですよね?」
「ええ?」
「照れててくれるってことは、先輩がわたしのこと、意識してくれてるってことですし、もし全然照れなくてあたりまえに握ってくれるようになったら、それはうれしいんですけど、もうわたしに飽きちゃったのかなとか……」
「めんどくせえなあ……」
「まあまあ。店長、喜多さんだって真剣に悩んでるんですよ。だって、初恋なんですから」
あきれた表情の店長と、フォローしてくれるPAさん。PAさんは優しい目つきで店長を見ている。店長はげそっとした表情で首を振っている。
「わたしを巻き込むなよ……」
「お姉さんなんですから」
PAさんの言葉に、店長は小さく舌打ちをした。口元を押さえて、少し考えてから、またわたしを見てくる。
「あの……?」
「喜多さ、とりあえず、直接聞いてこいよ」
店長が言う。
「虹夏が、どうしてもイヤだってんなら仕方ないし」
「……イヤだって言われたら、どうしたらいいんですか」
「いや、諦めるんだよ」
店長がイヤそうに顔をしかめる。まあ、それはそうよね。わたしだって先輩に無理をさせたいわけじゃない。いやだっていうなら諦めるしかない。
「そう、ですよね……」
「まあ、なれだと思うから。そんなに急がなくていいんじゃない」
「ううっ……わたしのバラ色の未来が……」
「別に来ないとは言ってねえだろ」
「そ、そうですけど……」
★
店長に話を聞いてもらってから1か月もたたない一日。先輩とデートに行く約束をした。ロインでのやり取りを済ませてから、なんとなく履歴をさかのぼってみる。
ずっとスクロールを続けていくと、わたしが告白した直後のやり取りにたどり着く。あのころは、やっぱりお互いにすごく意識してしまって、ロインの文面もちょっとだけぎこちない気がした。
ただこれまで通り待ち合わせをして遊びに行くだけなのに、やっぱり「付き合ってる」って思うだけで、もっと先輩と仲良くしたいとか、もっと触れ合いたいとか、あるいは、普段とちょっと違うことしなくちゃいけないのかな、とか。いろいろ考えてまとまらなくて、結局そんなにしっかり準備もできなくて。これじゃあ付き合ってるっていっても前と変わらないんじゃないか、先輩をがっかりさせちゃうんじゃないかとか、そんなことを考えてしまって少し落ち込みながら出かけた初デート。
それでも、実際にあって歩き始めて話をしていると、大好きな先輩と二人っきりでいられるってことがうれしくて、そこまで抱えてきた悩みなんてすごくちっぽけに思えてしまって、いつもみたいに……いや、いつもより、ずっと楽しい時間を過ごせたのも懐かしい話だった。
あのころは、手を握っただけで顔を真っ赤にしている先輩を見ているだけで満たされていたのに。たった半年たつ間、それ以上のことができないだけでこんなに落ち込むなんて、わたしはちょっとわがままなのかもしれない。
だから、今回はちゃんと確かめる。わたしがわがまますぎるんだとしたら、もう少しがまんを頑張ってみようと思う。そんな決意をこめてデートの準備をする。
いざ当日。っていってもお買い物に行くだけだし、いままで、それこそつきあう前だって何度もしたことがあるんだけど……今回はって思うと少しだけ緊張しちゃう。
いつもと同じ場所で、同じように集合。時間もいつもと同じ。ちょっと早めに着くと、先輩はもう立って待ってくれていた。
わたしを見つけて、片手を上げて、はにかみ笑いながら振ってくれる先輩。急いで近寄って声を掛ける。並んで歩きだす。フラフラと前後に揺れるきれいな手に、そっとわたしの手を近づける。手の甲同士が触れ合うと、先輩は少し目を伏せた。それからそっと手をひらいてわたしのことを受け入れてくれる。
おなじみのやり取り、いつものルーチン。この半年、これだって、もう何度も繰り返してきたやり取り。それでもやっぱり緊張してしまう。先輩にも緊張がうつっちゃったみたいで、いつもよりずっと会話が弾まない。
駅が見えてくるところで、先輩がそろっと指の力を抜いた。わたしも、一旦は素直に指を解く。
なるべく意識しないように一日を過ごす。行きたかったお店に行って、食べたかったランチを食べて。ショッピングの後、カフェに立ち寄る。この後どうしよう、なんて話をするのがいつもの流れ。最近できたお店に行ってみようとか、お互いのオススメの情報を交換したりとか、したいことはいっぱいあるはずなのに、やっぱり少し落ち着かない。
会話が途切れてしまう。氷が溶けて味の薄くなったジュースを飲みながら無言の時間。先輩はストローで氷をかき回しながら、顔を伏せている。わたしは息を整えてから身を乗り出す。
「少し、歩きませんか」
「え?」
「せっかく、いいお天気ですし。ゆっくりお散歩でもしません?」
「あ……うん、いいよ」
笑って立ち上がる先輩。グラスを下げてお会計。ゆっくりと外に出る。
たしかに今日はいい天気だった。空は晴れてぽかぽかしていて、すこし汗ばむくらいだけど、暑すぎるってほどじゃない。荷物を持ったまま、とくに行き先も決めずに歩き始める。駅前を通り過ぎ、公園を眺めながら静かなほうへ足を向けた。
口数はうんと少なかった。お互いに、たぶんなにか切っ掛けを待ちながら歩いた。道の左右を見渡して、なにか切っ掛けになる物がないかなんて思いながら、ただ静かに歩いて行った。なんとなく歩き慣れた方に足が向かってしまう。
黙って歩いていたらあっという間についちゃった。伊地知先輩のおうち――STARRYの前で立ち止まる。階段を見上げる。いつもと同じなら、ここでお別れだ。結局、うまくいかなかった。急にさみしさがこみ上げてくる。胸の中にぽっかりと大きな穴が開いたような感覚。
でも、もう到着しちゃったんだから。楽しい時間は終わってしまった。手を離す。名残惜しいけれど、ほんとうはもっといろんなことがしたいけど、先輩がまだ慣れないっていうなら仕方ない……離れかかった指が、また、ぎゅっと握りしめられる。
「ね、喜多ちゃん」
すぐそばから、先輩の声が聞こえた。ドキッとして振り向くと、じっとわたしを見つめている。その表情は、ちょっとだけ曇っているようにも、震えているようにも見えた。
「はい……?」
「もうちょっと遊ばない?」
「えっ?」
「まだ明るいし、喜多ちゃんのおうち、そんなに遠くないし、あたし、きょうはバイトもないから、よかったらちょっと寄ってって欲しいな、って……」
だんだん小さくなる先輩の声。泳ぐ視線。もう顔も耳も赤くない。むしろちょっと色がくすんで暗くなっているようにすら思う。
でも、きゅっと握った手の指はなにより確かだった。顔よりも言葉よりも雄弁だった。先輩が離れたくない、離したくないって思ってくれる気持ちが、指先から直接、はっきりと伝わってくるのがわかった。
わたしはきゅっと手を握り返して、ひとつ大きくうなずいた。
とたんに、先輩がパッと表情を明るくする。
「ありがとう、喜多ちゃん」
先輩を先に立てて階段を上る。おうちの鍵を開けてもらって、そのまま先輩のお部屋に。
ここに来るのも初めてじゃない。結束バンドのみんなとお邪魔したことだってある。二人でいた時間もある。
でも、付き合うようになってから、ここで二人っきりになるのは、これが初めてだった。
お茶をもらって一口飲んでから、またしばらく無言の時間があった。でも、さっきまでとは違う。あの居心地の悪さはなかった。わたしたちが自分の気持ちを確かめて、きちんと伝えられるようにするために必要な時間だと分かっていたから。
そのうちに、先輩がもぞもぞ座り直した。ローテーブルを脇にして直接向き合う。一瞬顔を伏せた先輩は、すぐにわたしの目をじっと見つめてきた。まぶしくて、明るくて、元気な瞳。いまは、とっても強くて、かっこいい光が宿っている。
「ねえ、喜多ちゃん」
「はい」
「あの……ごめんね。あたし、やっぱりまだ、なれなくて」
「えっと……」
「いっつも喜多ちゃんと……もっと仲良くなりたいって思ってるんだけど、やっぱり、外だと恥ずかしくって……」
少し照れくさそうに頰を染める先輩。まじまじ見つめ返すと、全部受け止めてくれる。こういう真面目で真剣なところも、わたしが先輩を好きになった理由の一つだ。
先輩は深呼吸をしてから続きを口にした。
「もっと手をつないだり、もっともっといろんなことしたい、って思うんだけど、やっぱりまだ恥ずかしくって」
「そうだったんですか」
「うん……でも、いまは二人っきりだから」
そういうと、先輩がそっと手を伸ばしてくる。床についていたわたしの手を拾って、キュッと握ってくれる。指と指を絡ませるように、優しく力を入れてくる。わたしがそっと握り返すと、クスッと笑って応えてくれる。
「えへへ……あったかいね」
「は、はい」
「ね、もっと近づいていい?」
「も、もちろん」
「ぎゅってしてもいい?」
「はいっ」
そろそろと近づいてきた先輩がいったん指をほどく。両腕を差し出してくる。わたしが両手を挙げると、その下に回される。
きゅっと抱きしめられて、抱きしめ返す。先輩がうっとり目を細める。
「あったかいねえ……」
「はい……」
「ねえ……喜多ちゃん……?」
「はい?」
「あの……あのね……」
耳元で話しかけられると、ちょっとくすぐったい。なんだろう、なにかしてほしいことがあるみたい。
先輩の言葉はなかなか出てこない。ちょっと戸惑っているみたい。そんなに言いにくいことってなにかあるかしら。少し考えていたら、ふうっと大きく息を吹きかけられた。
いや、たぶん深呼吸だ。でもちょうど高さがうなじにかかるあたり。ゾクゾクっと背筋がわななく。
「せ、せんぱい、あ、あの……」
「うん?」
「なんですか?」
「うん……チューしていい?」
「……え?」
「だめ?」
「ダメじゃないです……!」
わたしが少し身体を引くと、先輩が顔を近づけてくれた。触れ合うだけのキスをゆっくりと繰り返す。そのうち、先輩の舌がわたしに触れてくる。
ちょっとビックリしてしまう。まさか、先を越されるなんて。
それでもうれしい。わたしが受け入れると、ぎこちないながらも先輩が入ってくる。でも、そんなのお互い様。だって、わたしもこれが初めてなんだから。
しばらく、いろんなキスをした。先輩は堪能してくれたと思う。
気がつけば、先輩はベッドに背を預けていた。緩んだ口で浅い呼吸をしながら、ぽうっとほうけたように頰を染めて、とろんとした目で見つめてくる。
「せ、せんぱい……?」
「あ……え、へへ……ごめんね……」
「だいじょうぶですか?」
「うん……ふわってして……すっごくよかった……」
よっぽど気持ちよかったんだろう。ちょっと舌足らずでふにゃりとしてる。かわいくて、かわいくてかわいくて……言葉がいくつあっても足りない。ドキドキして、止まれなかった。
そっと近づいて、先輩を抱きしめる。背中をなでてあげながら、耳元でささやく。
「先輩、かわいいです」
「あ、ありがと……」
「好きです」
「うん、あたしもすき……」
「がまんできないです」
「え……? あっ、いや、喜多ちゃん、待って待って!! ……あっ♥」
★
STARRY、開店前の時間。店長が白目をむいている。PAさんは顔をおおって肩をふるわせている。リョウ先輩はテーブルに肘をついて顔を半分隠している。でも、明らかに両目が笑っていた。ひとりちゃんは……ちょっとしばらく動けなさそう。ノックアウトしちゃったみたい。
「知らねえよ……」
沈黙を破ったのは店長だった。いや……まあ、今回はそうだと思います。わたしがちょっと止まんなくてというか……でも、あのかわいい先輩から求められたら止められないじゃないですか。それに、すっごく楽しんでくれましたし……いや、楽しんではくれたんだけど、ちょっとやり過ぎちゃっていうのは事実で……
「なんでノロケを聞かされなきゃならねえんだよ……」
「うっ……すみません……」
「まあまあ。とりあえず、虹夏さんと仲良くなれて良かったじゃないですか」
「それは……そうなんですけど……」
PAさんになぐさめられる。最初の目的は達成できたんだけど……こんどは、そのせいでちょっと怒られちゃって、しばらくデート禁止になってしまったってわけ。
どうしたらいいかわからなくて、また相談にきたんだけど、話していたら空気がおかしくなっちゃったってわけ。
あきれかえった店長が、こめかみを押さえながら言葉を失う。笑われたり、溶けられたり。
わたしたち二人の恋路は、まだまだうまくいかないことがたくさんあるみたいだった。